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自己紹介

初めましてみひです!
私は今年の3月末で会社員を辞めてインスタをお仕事にして
フリーランス独立を決めました。

現在副業収入はまだ5桁代・・・
でも家計は共働き前提で新築戸建も新車も購入・・・

現在の会社に入社して今年で10年ですが、気がつけば事務所では一番の古株
上司は人間性も仕事面でもとっても尊敬できる方

みひ
みひ
そんな一見恵まれた環境を捨ててまでフリーランスという働き方を選ぶことになったのか

その経緯を自己紹介を交えて綴っていきたいと思います。

名前 みひ
年齢 1990年生まれの34歳
兄弟 三人兄弟の長女
出身・現住所 長野県出身・大阪府在住
家族 夫&もうすぐ4歳になる男女の双子と4人暮らし
趣味 音楽(フェス)と旅行とビール

 

生い立ち〜幼少期

私は長野県のスキー場の中にある小さな旅館の娘として生まれました。
幼少期は俗にいう「スキーブーム」の最終期で実家の旅館も好調だったので夏季のシーズンオフは家族で旅行に行ったりと楽しく過ごしていました。

しかし・・・スキーブームの終わりとともに旅館の経営は悪化。
経営難でお酒とタバコに溺れがちだった父が中学生の頃に脳梗塞で倒れたこともあり、
母が旅館の切り盛り・父の介護をしながら3人の子供を育ててくれました。

学生時代

学生時代を振り返ってみると・・・とにかく物事をコツコツ続けるのが苦手でした。
またなんでも環境のせいにしていました。

中学時代
・バレー部に入部するも1ヶ月で退部
・受験勉強
第一志望の高校は最後まで模試の判定が振るわず・・・
私立の滑り止めに入学金を払う余裕はなかったので第二志望に変更したものの
受験当日調子よく第一志望もいける点数を獲得し志望校変更したことを後悔・・・

高校時代
・大学受験
とにかく理系科目が苦手すぎたので文系のみで受けられる大学に絞って受験しました。
加えて学費の安い国公立に絞ったので倍率も高く前期・中期・後期全て全滅してしまい、
母に入学金を工面してもらい滑り止めで受けていた私立大学になんとか入学しました。

大学時代
部活・サークル・バイトと大学生らしいことは満喫するが、特に頑張ったこともない。
外国語学部に通い部活でも英語部に所属したのに全く英語を喋れるようにならず卒業。

就職活動

さあ就職活動するぞ〜!と思い自己分析をしたり、業界分析をしてみるものの・・・
何になりたいのか・どんな業界を目指したいのか全く見えてきませんでした。

一方で周囲がどんどん就活を進めていく流れには乗らなきゃと焦った上で
面白そう!華やかそう!と思って広告業界を中心に50社ほどは受けましたが全滅。。。

バイト終わりに夜道を歩きながら自分は社会に必要とされていない人間なんだ
と感傷に浸っていましたが、今考えれば当たり前・・・学生時代に特別頑張ったことも志望動機もない私が受かるわけもありません(泣)

色々と葛藤もあり、人よりだいぶ遅れて卒業前ギリギリで
太陽光発電システムを販売する会社に新卒で入社することが出来ました。

新社会人

初めての社会人・営業職で最初の1年はとにかく新しいことを覚えるのに必死でした。
2年目は営業部のリーダーを任せていただき新規事業にも注力させてもらいましたがなんかもう「やりきったな」と思うようになり学生時代からずっと憧れていた「海外生活」を叶えるために貯金を始めました。

程なくしてワーホリに行く資金ギリギリは貯蓄できていたので仕事を辞めてオーストラリアにワーキングホリデーに行くことを決意しました!

人生で初めてやりたいと決めたことにコツコツ取り組んで(貯金)やりたいことを叶えた経験でした。

ワーホリ時代

まさに人生の夏休みの日々を過ごしました。
最初の2ヶ月はブリスベンにある語学学校に通いましたがギリギリの資金で来たので、
とりあえず1日でも早く仕事を探さないと!手っ取り早く日本食レストランを
2つ受けたところ、アルバイト経験もあったため無事に採用してもらいました。

みひ
みひ
その後半年間はバイトに明け暮れていましたが日本語環境だったので一向に英語力は向上しない・・・これではまずいと思いブリスベンからの移住を決めました。

その後移住先のメルボルンでは飛び込みで履歴書を持って職探しをしてみたところ
日本人のいないカフェでのバイトも決まり、
オーストラリア人オーナーのタワマンで韓国人とルームシェアしたり、
英語環境に身を置くことで日常で使えるレベルの英語力は身につけることができました!

今いる環境って人間は本能的に離れたくないと思うこともありますが、
身を置く環境で自身の成長スピードは格段に変わるなと実感した出来事でした。

帰国・再就職

1年間のワーホリが終わり帰国した時に生活の地を大阪に移しました。
せっかくだから帰国後は英語を使う仕事をしたい!と思っていたのでそこを軸に職探しの日々が始まります。

翻訳サポート・メーカー・商社など色々探してみましたが
ほとんどが「経験者のみ」という求人が多く難しいなあと思っていたところで見つけた
「未経験OK」という求人!

商品を輸出入するときの輸送の手配をする物流会社の営業職の求人でした。
ここなら英語を使って仕事ができる!と入社を決めました。

とにかく覚えることが多い業界ですが当時はマニュアルはほぼなく・・・
仕事をしながら覚えるというようなスタイルでしたのでとにかくがむしゃらでした。
だけど新しいことに挑戦することが好きな私としては夢中になれる環境でした。

しかし新卒時代と一緒で2年ほどすると仕事にも慣れてきましたが同時に飽き始めてきました。
加えて新規開拓でのテレアポや押し売りが苦手だったので「営業職やめたい」「転職したい」という気持ちが募ってきました。

一方で結婚が決まった頃でもありそろそろ子供が欲しいとも思っていました。
産休育休取るには新しい会社だとより気を遣って大変そうだからとりあえず今の仕事を続けながら妊活するか〜と思っていた矢先に・・・

私以外の営業職(2人)が同時に退職😂

退職していったメンバーとは仲が良かったので、転職活動していることは知っていたものの…

今の状況だと辞めるわけにはいかないし、産休にも入れない…という状況になり、
支店で1番の古株(入社4年目)&唯一の管理職になりました。

業界経験4年でまだまだ知識も浅く頼る人もいない中で3人の事務職を含めてマネジメントしなければならなくなり、かなり精神的にきつかった時期ですが、めちゃくちゃ鍛えられた時期でした。

不妊治療〜妊娠

程なくして業界経験の長い上司が入社することとなり支店自体は安定するようになりました。
そこで産休育休取るなら今だ!となかなか授からない時期も長かったので不妊治療に挑戦し始めました。

身体のサイクルに合わせる必要があるため、急に明日の午前中病院行かないと…
というタイミングもありましたが、上司含め理解して協力してくださり本当にありがたかったです。

不妊治療を始めて半年ほどしたときに無事に妊娠することができました。
産婦人科で無事に妊娠が確認できて良かった〜と思っていたらお医者さんから一言…

実はもう一つ!

みひ
みひ
え??どういうこと??と思いましたが、なんと双子を妊娠していました。

全く予想しておらず、当時は不妊治療で双子になりやすくなることも知らなかったので
ただただびっくり〜!でした。

出産・育休

2021年3月に男女の双子が無事に産まれました!

夫に育児休暇を取るという概念もなく😂
1ヶ月間は義母が泊まり込みで手伝いに来てくれたものの帰ってしまってからは週2程度の夫の不定休以外はほぼワンオペでした。

3ヶ月までは本当に忙しくて気がついたら1日が終わってた…
そんな繰り返しでしたが、心の支えはインスタでの育児情報収集!!

コロナ禍だったこともあり外出がしにくい雰囲気でリアルでの情報収集が難しいけど、
困った時にインスタを見ると専門家の方がたくさん投稿してくれていたり、
近隣のお出かけ情報もすぐに知ることができて本当にありがたかったです!

3ヶ月、半年が過ぎるにつれて少しずつ育児にも慣れてきた。
そこで思ったのが働きたいな…でした。毎日同じことの繰り返しでつまらない・・・
翌年の4月には復帰を目指していたのでだんだん仕事復帰が楽しみになってきました。

仕事復帰

無事に1歳をすぎた4月に家から徒歩1分の立地最高の保育園への入園が決まり
無事に時短勤務でワーママライフをスタートしました!

復帰当初は営業職ではなく営業サポートで担当顧客は持たずに見積もり作成などの業務をしていました。

復帰から1年ほど経った頃には他の営業担当の退職をきっかけに担当営業を持って
営業職として復帰することになりました。ここから育児と仕事の両立に苦労するようになります。

時短の範囲内では仕事が終わらず、帰宅後子供を寝かしつけた後にメールチェック
海外の会社とのやり取りも多いので時差の関係で帰宅後にお腹を空かせて泣いている子供に待っててもらいながら対応することもありました。

また日々は顧客対応に追われてしまうので、月毎の報告レポートなどの事務作業が終わらず夫の平日休みの日はまとめて残業して終わらせる。
家族揃ってご飯を食べることがほとんどない。そんな日々を送っていました。

時短にして給料が減っているのに産休前よりも多い案件数や売り上げをこなしている。
これなら時短にする意味がない・・・と思い復帰して1年が経った頃にフルタイムへ働き方を変えました。

フルタイム勤務

フルタイムになるにあたり、ミールキットの宅配を契約したり
家事育児関連で削れるものは徹底的に時短を考えて挑みましたが・・・
やっぱり圧倒的に時間が足りませんでした。

加えてそのタイミングで年度中に引っ越しがあったので認可保育園には入れずに
家から自転車で15分ほどかかる園に決まったため毎日の送迎が大変です。

そんな私の平日スケジュールはこんな感じ

5:30 起床
7:00 家を出発(子供の保育園へ送迎)
7:30 子供を保育園に預ける→ダッシュで最寄り駅まで
8:30-17:30まで勤務
18:30 子供を保育園に迎えにいく
19:00 帰宅
19:30 ダッシュでご飯を作って食べるが子供の食事に1時間かかる(泣)
その間に仕事のメールが来て対応に追われる
20:30 お風呂
21:30 急いでベットに行って就寝(寝かしつけをしながら布団をかぶってメール対応)

朝も夜も平日は子供と遊ぶ時間も絵本を読む時間もない日々です。
また夫の土日休みが月1~2回ほどしかない時が多いので週末はワンオペ育児。

全く休める時がない・・・そんな状況でした。
(両親遠方のため子供を預けることもできずに・・・)

日々の保育園時間が長いこともあって朝は起きれない・夜も帰宅後はぐずぐずの子供達
交代で「抱っこ〜!!」と叫ばれて仕事で疲れ切っている私もついついイライラしてしまう日々でした。

このままだと子供を生きにくくさせてしまうかも

そんなとき目にしたのが「幼児期の親子の愛着関係の大切さについて
というインスタの投稿でした。

幼少期にイライラして怒ってばっかりで育ててしまうと子供との間に愛着関係が築かれずに
子供を生きにくくさせてしまうというものでした。

なんでこんなにイライラしちゃうんだろうと考えた結果
自分の働き方と今のライフスタイルに原因があると感じました。

それを機に働き方を変えることに興味を持ち始めました。
今の会社ではテレワークの制度もなく毎日出勤ですが、在宅でできる仕事だったらなあと思い始めました。

助産師さんや保育士&ベビーマッサージの講師さん
デザイナーさんなど在宅ワーク・フリーランスとして働いていることは知っていましたが「手に職や資格のある人だけでしょ」と思っていました。

自分には営業のスキルしかない。しかも営業には向いていない&辞めたいと思っていたので私には無理だろうなと思っていました。

働き方を変えるきっかけとなる出来事

そんな時に新しく業界経験のある新人営業が入ってきました。

教育担当をすることになりましたが、教育にものすごく苦労しました。
伝え方を工夫したり口頭では伝わらないならと資料などを作って言語化してみたりすることでますます業務量増えて持ち帰ることや夜間の対応が増えてきました。

私なんのためにこんなに頑張ってるんだろう。
もっと今しかない子供との時間を大切にしたいのに・・・

そんなことを考えながら日々の仕事をこなしていたある時・・・

上司から送られてきたメールのやり取りと遡ってみていた時です。
そこに私が一生懸命フォローして教えていた新人営業のお給料が書かれていました。(書いてあると思わず送ってきたようです😭)

なんと私より高いお給料をもらっていたのです!
それを見た時に私の中で何かが吹っ切れた気がしました。

この出来事をきっかけに会社員で働く以上
いくら頑張ったってお給料に直結するわけではない。
自分ではコントロールができないと痛感しました。

加えて上司たちの姿を見ていると、全員がプレイングマネージャーで担当顧客を持ちながらマネジメント業務もこなしていました。誰よりも早く会社に来て誰よりも遅く帰っている。
平日のほとんどは取引先との飲み会か残業。平日は全て仕事に費やしているようでした。

でも私は家族との時間ももっと大切にしたい。
いつか親元を離れていく子供たちとの時間を過ごしたい。
だけど自分のキャリアアップも収入アップも諦めたくない!

そのためには今いる環境を変えるしかないと決断した出来事でした。

転職活動

そこから転職活動を始めてオンラインの説明会や面談を数件行いましたが、
会社員で働き続ける以上育児とキャリアアップの両立は今の会社と同じように難しいのでは
と感じるばかりでした。

そんな時にインスタに「インスタ運用代行で在宅ワークが叶う
という広告が出てきました。
これがのちに私の人生を変えるリモラボとの出会いでした。

正直この時点までインスタの運用代行という仕事があることを知りませんでした。
広告についていたリンクに飛んで、リモラボのYouTubeに飛んで夢中でみました。
そこで多くの育児と仕事の両立に疲弊した女性たちが働き方を変えたことを知りました。

その人たちの今がめっちゃ羨ましい🥺と純粋に思ったことを強く覚えています。

そこから少しずつインスタ運用代行のことやフリーランスでの働き方について調べたり考えたりするようになりました。

母の癌が発覚

そんな時に…発覚したのが…母の癌でした。
わかった時にはステージ4で卵巣から膀胱に転移
すぐに入院となって、検査、手術を試みましたが腫瘍が大きすぎるので
難しいとのことになり抗がん剤治療も始まりました。

遠方に住んでいるので全ては近くに住んでいる弟達に任せるほかありませんでした。

3兄弟の中で唯一大学も出してもらって
(後に母が学費の工面に相当苦労していたことを知りました。)
その後も自由奔放にワーホリに行ったり、母に1番苦労をかけたのは私でした。

仕事も頑張ってキャリアアップしていざ介護となった時は金銭面でも精神面でも
サポートしてあげたいと思っていたのにそのいざが急に来てしまいました。

でもリモラボのYouTubeで見た方々のように時間と場所にとらわれない働き方を
実現できれば全てを叶えることができるかもしれない。

今しかない子供達・親との時間も大切にするためにはいますぐに働き方を変えるほかない。そう思って思い切ってリモラボのオンライン説明会に参加しました。

リモラボ入会

リモラボの説明会の中で特に印象的だったのが、
フリーランスとして収益を安定化させるまでのロードマップでした。

今まで多くの女性の働き方を変えてきた経験から得た全てをロードマップ化したとのこと。スキルだけでなく安定化させるまでの方法も学ぶことができるという点がとても魅力的でした。

これなら私でもできるかも!!絶対に働き方を変えたい!!という決意だけはあったので
今やらないと一生後悔する!!と説明会当日にリモラボへの入会と働き方を変えることを決断しました。

金額も安くはなく、今まで大きな額を自己投資した経験もなかったこと
今の生活だけでも精一杯なので週20時間以上の学習時間を確保できるのかが
最後まで心配でしたが、投資したならやるしかない!と思いました。

スキル取得〜現在

リモラボ入会後はインスタ運用、デザイン、生成AI、様々なツールのこと
並行してフリーランスとして安定するために必要なマインドセットなどを学びました。

その後入会2ヶ月後には知人からインスタ運用サポートの案件を獲得。
現在は副業として3アカウントをサポートしています。

元々、働き方を変えたいと思っていたこと。現在の生活ではこれ以上時間を捻出するのが難しいので、一旦は本気で挑戦したいと思い、3月末での本業退職を決めました。

冒頭にも書きましたが私の挑戦はまだまだこれからです。

今、育児と仕事の両立に悩んでいるけど、
・スキルや手に職のない自分がフリーランスとして独立する想像が出来ない。
・安定した収益を得られるか不安で踏み出せない。

リモラボが私が一歩踏みだすきっかけをくれたように、
私の実体験が同じような方の背中を少しでも押すきっかけとなればと思い
これからフリーランスとして独立して会社員時代の収益を超えていくまでの軌跡をブログとして残していこうと思います。

家族との時間もキャリアアップも諦めない!

本当にそんなことができるのか?という半信半疑のような気持ちでも構いませんので
(旦那も応援してはくれているものの半信半疑だと思います🤣)

これからも読んでいただけたら嬉しいです。